日曜日, 8月 24, 2008

日本人の矜持

  • 今日の「たかじんのそこまで言って委員会」では、最近の若者の考え方について議論されていた。小林多喜二の「蟹工船」が最近売れていて、蟹工船の船員と最近の派遣社員の立場が似ており、それが共感をもたれているのだという話がある。
  • だから若者が左傾化していると考えられるのかとの問いかけには、出演者の意見は「体制のレベルで考えをもっているのではなく、自身の生存が脅かされているために反発しているのである」との論調だったと思う。
  • 私のように狭い世間でも、若者は厳しい状況に置かれていると感じる。娘と同世代の今の大卒は、正社員になれる割合は以前よりかなり少ないであろう。少し前までは、フリーターをしていても暮らしていくだけなら、そんなに苦労しないと言われていたものだが、家をもたずインターネットカフェなどで暮らし、病気になったら即、住む場所がなくなる若者というのも一定数存在しているというのが現実であると認識している。団塊の世代がよく言うように「昔もアルバイトの賃金は安かった。なかなか社会や会社の中で認められないのは当たり前のことである」というのも変らぬ事実であろう。全ての年代の中で若者の世代の経済状態が相対的に高いか低いか?その相対的な高さは昔と今とで違うのか、あるいはあまり変らないのかというのは、私には簡単にわかりがたい問題であるが、一番違っているのは、「矜持」というか、精神の持ち方ではないかというのが私の感覚である。
  • 江戸時代や明治頃から、日本人は「武士は喰わねど高楊枝」といった感覚はずっと持ってきたと思うし、私の子供の頃にもそういう感覚があったように思う。また、経済成長を続けていた頃は、常に物価上昇率に賃金の上昇は追いつかなかったけれども、それでも賃金は必ず毎年上がり、将来の生活は今より必ずよくなるという確信があった。バブルがはじけてからの将来の不透明感が続く中で、収入の中で質素な生活をしながら先を見据えて腕を磨くというような気持ちが少なくなってきたのかもしれない。高度な金融という名の下に、サブプライムローンなどという返す見込みのない借金を促すような制度まで踏み出してしまったアメリカは病的であり、少し地道な方へ考え方をシフトしてもらわねばならないが、それでもシリコンバレーにみられるような、企業家精神を殺しては進歩はなくなる。このあたりのバランス感覚は、日本人は保ち続けていると思うが、それを持ち続けることができるかが問いかけられる時代になってきたのは間違いない。
  • なにやら、藤原正彦氏の議論を真似したみたいになってきた。私も、若者には日本人の矜持が必要であると思う。最近、「幸之助論」(ジョンP.コッター)、「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術」(松藤民輔)を読んでいるので、それらを参考にまた書いてみたい。

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