水曜日, 8月 20, 2008

サッカー、ウルグアイ戦

  • 後半からしか見なかったのだけれど。途中までいい試合かと思っていたが、最後は完全にやられていた。負けた大きな要因は献身の差のように思った。
  • ウルグアイの選手は、審判の見ていないところでの反則や、こずるいプレーも多かったのだが、それだけではない。日本選手がバックスがボールを回している時にもきっちり追いかけている。日本の選手が追いかける時は、相手の選手にまっすぐに追いかけ、相手のパスを出す2番目の選手、3番目の選手への詰めのかけ方が真っ正直だ。ウルグアイの選手はここというところを肌で感じて、迫力で詰めてくる。一生懸命、追いかけようとしているとは見えなくても、ひょっとしたら次の次あたりというところに、ひたひたと詰めている。攻撃でも同じだ。考えた上で、こうすべきだと判断して動くのと、ここだと感じて、次の理想的な場合をイメージしながら自然と動いているのとの差かもしれない。
  • 日本の選手は、ここは危ないとわかるような時は、必死になり身体を投げ出しての献身的プレーというのは得意であり、見事だ。しかし、チームとしてここは肝心なパスだ、二人目、三人目のプレーヤーが必要な位置に詰めておこうというような場合の献身的なプレーはどちらかというと、軽んじられている。そういうプレーに対する賛辞がまだまだ少ない。ここを抜かれては相手の思うような形だ、だから何としても止める。相手のパスコースが少ないから、見方のあいつが相手を追い詰めるはずだ。そうするとここにしかボールはでないから、2人で詰めればボールが取れるはず。というような場合に、半分以上無駄とわかっていながらの献身的な動きというのは日本選手に少ないとはいわないが、ウルグアイの選手には負けていたと思う。そんなプレーへの賞賛が日本のファンに少ないように思う。そういう日本のファンの意識のレベルが日本サッカーのプレーの質に反映しているのだと思った。

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