木曜日, 8月 16, 2007

会社は頭から腐る-3

  • (1,2からの続き)
  • 途中までの論旨は、日本の会社は、人材や技術やノウハウをもったまま、海底に沈もうとしている。日本の経営者は外と勝負したことのない「決断できないいい人達」であり、その欠陥が明確に露呈されないままバブルの時期を過ぎてしまった。これからもっとも必要なことは、経営者を育てること、真面目に経営を語れる、プロフェッショナルな投資家を育成することであった。
  • 著者が広くいいたいところは投資家たる国民全体が見る目を養うことであろうが、最も本質的な指摘は、経営者の育成であろう。経営者に対しては、まず予定調和的な組織の仕組みに乗っていこうとする人間ではダメだということである。私などが身の回りで聞くのもこの手の話が多い。「あの人は、次の社長に決まっているから、その出身の○○部の意向が通るようになるだろう」等という感じ。あの人は外部環境がわかっていて、何が必要かわかっていると言う風な話はやはり多くない。
  • 「経営者に対しても団塊の世代は甘くてイカン」と非難していてもなかなか、どのように厳しくやってもらいたいのかビシッと決まる言葉はでない。その点、著者の提言は、ずっとずっと大胆である。確かにそうであるとも思う。
 マネジメントエリートになる人間は、30歳で一度、全員キャリアをリセットさせてはどうだろうか。全員一度クビにしてしまう。役所も銀行も商社もメーカーも30歳で首である。少なくとも、マネジメントを目指す人間は、自ら辞めるくらいでもいい。もちろん会社に戻れる保証もない。
 そして5年間、脱藩浪人として武者修行に出る。血を灰、泥水を飲んでくる。もし、それでもう一回元いた組織が、あるいは別の組織が使えるに足ると判断すれば、雇われる。こうやって育ったエリートなら---全く違う角度から新しい視点を与えてくれると思う。こうれまでとは違う未来をつくってくれると思うのだ。
  • 著者はさらにエリート層そのものをもっと見直すようにいう。
  • 日本のエリート層(現在の官僚制度の上層部、政治家にあたるであろう)達、本当に彼ら優れていたのか、若者の品格を問う前に、若者たちが職をえられないような問題を生んだのは正に彼らではないか。むしろ、日本が世界の普遍を作り出したのは、江戸の町人、農民であり、時代をさかのぼれば源氏物語のような文学は女性であった。メインストリームのエリート階級やエリート組織からではないのではないかと喝破している。
  • 大企業の役員や社長はバランスシートが全く分かっておらず、自己資本が300億円だと、どこかに現金で300億円あると思っている経営者が本当にいるとか信じられない話を出している。こんな緩んだエリートは論外であろうが、鍛え、選択すべきエリートは、以下のようなものであるという。
エリートほど、明らかに不利なところに向かうべきである。そういうところに飛び込んでみるという経験を意識的にすることである。そして社会全体の一つのコンセンサスとして、そういう状況をくぐり向けた人間をこそ重用すると決めるべきなのだ。
  • ズシリとくる提言だと思う。しかし、こういう話を現実にやれるだろうかとまともに理解しうる人間は多くないと思う。また、それを実行に移せる人間は稀有であろう。
  • 現状を把握し、このような声を上げることのできる胆力、気力。凄いと思う。

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