火曜日, 7月 10, 2007

生物と無生物のあいだ

  • 本屋さんに積んであった本を手にして読み始めた。
  • 生物学者の大学時代からの問い「生物はどこで無生物から区別されるのか」にせまる論考である。
  • DNAが生命の根源であることを始めた見つけた人、エイブリー。ワトソンやクリックがDNAに注目する前提を作った人だ。彼は、何を考え、何を感じながら研究は進められたのか。これらのことを、平易にしかし、他にないほど正確に捉えているように思う。これまで読んだところではエイブリーの話が中心だ。その中で、共感した部分を抜き出してみる。
---往々にして、発見や発明が、ひらめきやセレンディピティによってもたらされるようないい方があるが、私はその言説に必ずしも与できない。むしろ直感は研究の現場では負に作用する。これはこうに違いない!という直感は、多くの場合、潜在的なバイアスや単純な図式化の産物であり、それは、自然界の本来のあり方とは離れていたり、異なったりしている。---
  • そうそう、そういう直感をそのまま振り回すやからが多いんだ。一歩離れてデータを真実を見て欲しい、あるいは、自然はそういう図式では動いていなかったんだとどうして素直に認められない。等と、研究者の端くれとしてこれまで何度、思ったことか。著者は、エイブリーの発見はどういうものだったかを次のように記述する。
---エイブリーの確信は、直感やひらめきではなく、最後まで実験台のそばにあった彼のリアリティーに基づくものであったのだ。そう、私には思える。その意味で、研究とは極めて個人的な営みといえるのである。
  • (夕食)ソーメン

0 件のコメント: