木曜日, 7月 12, 2007

話が合うという感覚

  • 人と話していて先方の望むぴったりの情報を提供できることは少ない。
  • 求めているものとはっきり違うと 、「そうではなくて--」と要求しなおすことができる。しかし、すぐには説明できないけど、言葉としてはそのとおりなんだけれど、「でもちょっと違うんですけど---」と言わなければいけない場合、すぐに説明できなくて、もどかしい。その違いを説明するため、「建前ではなくて本音が聞きたいんですけど--」とか、「そちらの立場ではなくて、あちらの立場にたってみると--」とか、「前提が違っていると思うんですが--」等‥、いろいろ苦労して言葉を探すことになる。
  • なにかしらぴったりの言葉が見つかると、それだけで気持ちがよくなったりするものだ。一気に、話が通じることもある。
  • ところが、なかなか話がかみ合わないとしんどい。自分が当事者であれば、あれやこれや、思い切って迫ってみるとか、すかしてみるとか、探りをいれる楽しみもある。それが会議なんかで、第三者の立場で、2者の食い違いを見ているのはなかなかつらい。そこを割って入って、「こう考えたらいかがでしょうか」と効果的に話を進めるというのが、ファシリテーターかもしれない。決め付けでなく、皆がのびのびと気持ちよく話ができるようにするというのはなかなか人間ができていないとできない芸当だろう。
  • 私のように人間ができていないとなかなかすっきりいかない。本の場合も似たところがある。きっとこんなことが書いてあるのだろうと思ったら、ちょっと違うかなと思うこともある。しかし、あまり期待せずに買ってみたら、「なんだか、話があうなあ」というのはめったにないことだ。「生物と無生物のあいだ」と言う本はめったにない本だ。

  • (夕食)きずし、ごはん、セロリとイカの燻製のサラダ

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