火曜日, 2月 12, 2008

創造性を生もうとする以外長期的に生き残るすべはない

  • 梅田さんのブログ「My Life Between Silicon Valley and Japa」で最近将棋の話を続けて書いておられる。そこでは以前の棋士の将棋への取り組み方と異なり、羽生さんを代表として現代の将棋が真理探究の場のようになっていることが述べられている。
  • 将棋は弱いけれども将棋の観戦記は大好きなのだが、梅田さんの将棋話は「Web進化論」の話に直接つながっており、組織論の思想となっている。今日の議論は、創造性に関する話題でとりわけ興味深かった。
  • 羽生さんの言葉として 「創造性以外のものは簡単に手に入る時代だとも言えるでしょう。」という言葉を紹介し、以下のような解説をしている。
  • これは、産業の世界で言う「コモディティ化」の議論そのものである。羽生のいまのところの結論は、厳しいながら、権利のない世界のほうが進歩が進む、だから(進歩を最優先事項とするなら)情報の共有は避けられない、そういう新しい世界では、一見モノマネをして安直に生きるほうが正しいかのようにも見えるのだが、無駄なようでも創造性を生もうとする営みを続ける以外、長期的には生き残るすべはない、ということのようである。この言葉は重いと思う。
  • 羽生さんは見切っているんですね。自分の生み出した新手を隠すことによってモノマネを防止して創造性の優位を保とうとするのはわかる。でも、あたらしい世界では情報共有が進み進歩が優先される。そのような手の内をさらす世界でも結局、モノマネをして安直に生きるのでは生き残れない。創造性を生もうとし続けるしかない。だとしたら、自分(達)は、情報共有を積極的に進め、進歩の早い世界で創造性を生もうとする営みを続けよう。
  • 確かに「重い」言葉ですね。

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