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「切磋琢磨」しあえない日本の科学研究
- 先日届いたBTJ /HEADLINE/NEWS 2007/03/09 THE PRIME MAIL 第959号に登場された産業総合技術研究所の倉地さんの文に「我国の競争的公的研究費配分システムには深刻な欠陥がある」との指摘があった。BTJのメールをとっておられない方のため少々冗長になるが、メール内容も含め感想を書く。
- 氏は米国の大学で30数年間、第一線で研究、教育活動に従事され、日本(産業総合技術研究所)に戻られてから6年になるそうである。帰国当初の浦島太郎状態から、慣れてくるに従い、本物の逆カルチャーショックを感じ始めたそうである。「その違和感の実態が明確に見えるようになるにつれ、そろそろ玉手箱を開けてみるか、と言う誘惑を覚えているところである」として、ご自身の例を挙げられている。
- 氏が帰国する直前に、長い間未知であった新研究領域の扉を開く発見をされ、多額のNIH研究費も獲得された。経済産業省の招聘を受けて期待感を持って帰国された。ところが、日本では研究費が獲得できず、その理由も明確に知らされない現状であったということである。氏の表現では、下のごとくである。
- 「驚く事に、研究費申請の審査コメントは、“この分野に当てはまりません”を始め、意味不明のごく短いものやコメントが無いものばかりである。遂には、どうやら審査システム自体が本当に何かおかしいと実感するに至った。これでは正に行き止まり道で、一体何が問題なのかさえ分からない。米国NIHの研究費審査では、研究費が獲得出来ようが出来まいが、審査委員会が責任を持って書く数ページに亘る論理的で詳しいコメントが研究者に戻され、研究向上にもしっかり役に立つのである。この日米間の差は、夫々の研究社会が共有する価値観の違いであり、進歩する社会
と進歩しない社会の違いを端的に表している。」
- 氏の言いたいことは、日本の研究支援(研究費獲得の仕組み)には切磋琢磨しあうことができない仕組みとなっているということであると思う。
- 私を含め多くの研究者がこのような問題を感じていると思う。ではいったいどうして行けばよいのか、氏の今後の意見をよく拝聴したい。
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