- TVで日本人留学生射殺事件を取り上げた番組をやっていた。ハロウィーンパーティの仮装をして、間違った家に入り、フリーズの言葉を理解できなかったためということで、フリーズと言う言葉が日本人に認知された事件だ。番組を見ていていろいろなことを感じた。
- 銃を持つことを認めているアメリカ社会では、このような事件が起きることはある意味避けられないことだと思う。このような事態を避けるための、心構えだとか、行動はどうあるべきかということは、たくさんあるだろう。また、銃を撃ってしまった住人にも同情する余地はあると思う。銃をもつことが当たり前とされるような土地(ルイジアナ)に住んで入れば、常に凶悪な強盗が入ってくる事態を想定して身構えているに違いない。そこへ、そんな心理からまったく隔たった善意を常に受けて天真爛漫な人間が来たら、一瞬のうちに最悪の事態を想定したであろう心理は、簡単な想像を許さない。
- このような銃を持つことが常識化したような世界には、足を踏み入れたくはない。その点だけははっきりしている。
- そのことは別にして、銃をもつことを許しているアメリカ社会の心理について感じたことがある。それは、自分のことは自分で責任をもって対処するという意識である。多様な移民からなる社会、アメリカでは多様な民族の背負っている背景は大きくことなり、考え方、感じ方はそれこそその背景まで含めて理解することは簡単でない。ちょっとすれ違うだけの異民族同士では、何を考えているかわからないヤツということになる。だから、利害が生じる時には、こちらの考えがすぐわかるはずだと思っていては大変な誤解のもとである。ちょっとしたことでも念入りに説明する(往々にして日本人には、そんなことまで言わなくてもと感じる)。そして、感覚的に、こんなもんでしょう、というようなあいまいなことで済まさないで、理屈をつけて説明する。無理やりにでも理屈をつけるような気がする。日本人のように、私はこのように感じたからあなたもそのように感じるでしょうというように感情を押し付けることは少ないように思う(もちろん、そんなことがないわけではないが初対面とか、親しくない人では大変少ないのではないか)。
- 銃を許すところまで行くのは、まったく同意できないが、人どうしが理解できない部分がたくさんあるのだということを前提としているのは、すがすがしいと感じることもある。理解できないことを出発点としているために、必要と感じるならば理解できるように真剣に努力する。その努力によって、いろいろと得ることがある。世界に通用する仕組みを作り上げたりもする。
- 日本人のような、「わかるだろー」というゆるい社会も大変いいのだが、わからないからそのためにルールをきっちり決めて、スムーズにものごとが流れるように、便利な仕組みを作るという努力を惜しまないというのも、立派だと思う。
- 銃は禁止してもいいんじゃない。これは、わかるでしょうといいたいんだけど。理屈で説明しないとアメリカ人にはわかってもらえないでしょうね。
水曜日, 11月 19, 2008
銃を持つ社会
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