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40年弱前の言ったことを褒められた気分
- 今日読んだ「日本と中国は理解しあえない」(日下公人、石平)に、論語で孔子がいっている「恕」というのは、大和言葉の「思いやり」にあたると説明があった。
- 漢文より大和言葉のほうが深みがあるとの議論の例としてでてきたものだ。孔子が一生懸命にいろいろな形で表現している「わが道は唯一恕」という「恕」は、中国人が「恕」という漢字を読んだだけではよくわからないところがある。それを大和言葉の「思いやり」と言い換えるとすぐわかる。「思いやり」の意味からもう一回論語を読むと、孔子の言いたいことはまさにこれだとわかる、とある。
- 「己の欲せざるところを人に施すなかれ」という孔子の精神と、キリスト教の真髄、「人の喜ぶことをせよ」という両方の意味を、大和言葉の「思いやり」はもっている。また大和言葉には「相手が喜ぶことをするのは同時に自分の喜びだ」という意味も入っていて、だからお礼は求めない、いらないのだ。と説明している。
- わざわざこの部分を引用したのは、私が中学2年の時、先生から生徒にあなたの好きな言葉(あるいは自分がこうありたいという言葉だったかもしれない)をあげなさいと言われ、皆がいろいろな言葉を挙げた時のことを思い出したからだ。いろいろ表面的なかっこいいような言葉がたくさんでてきたが、自分にはどうもしっくり来なくて、自分の番のとき「思いやり」と言った。みんな一瞬、えっという感じで、なんか女の子みたいだなとかいう小さな声もあったように思った。でも、なんとなく納得してくれたような感じもあった。それが、今、深い意味をもつ大和言葉だよ、いい言葉だねと、褒めてもらったような気がした。そのうれしい気持ちからだ。
- (昼食)日本橋「昆ぶ禅」で。いつも親子丼とうどんのセットだが、今日は焼き鳥丼とうどん(ぶっかけ)のセットにしてみた。ここのうどんの出汁は昆布がきいていておいしい。焼き鳥丼は半分に金糸卵、半分に焼き鳥がのっている。ご飯がばらすし的な感じ(といって酢飯ではないが)でよかった。しかし、やはりここは、砂ずりを使った親子丼のほうが好みだ。
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