- 最近気流が悪いようだ。飛行機がよく揺れる。季節がそういう時期なのだろうか。
- 「思考の補助線」(茂木健一郎)を読み出した。氏の「思索」への情熱、現代人が粘り強く考えることを放棄しているかのような状況に対する怒りに触れた。
- 少々とっつきにくかったが、途中から面白くなった。「私と小鳥と鈴と」という金子みすゞの詩が紹介されているあたりである。「みんな違ってみんないい」と結ばれる詩である。それを受け、例えば、
- 「差別語狩り」はことさらに差異を隠蔽しようとする思想がある。「差異は上下という関係に写像される」という単純な世界観の表れであると説明している。そうではなくなく「みんな違ってみんないい」という多様さへの賛歌が素晴らしい。このような姿勢を貫くことはかなり大変なのだというのは、よく実感できる。
- また、「世界全体を引き受ける」ということが、若いときからの私の密かな野望であった、と書いている。こういう言葉はわが身を振り返らされる。
- 私自身、大学の教養時代(1,2年生)は物理学を志していたこともあって共通するような志向があり、なんとなくわかる。しかし茂木氏のように一本気に突っ走っている人は数少ないと思う。氏が宇宙の波動方程式を書いて理解しきれるほど単純ではないことに気がついて落胆したり、ひも理論のようなところまで突き詰めても「世界を引き受けた」ことにはならないと思い、「脳」や「意識」の問題に入っていったということは納得できる。
- 私の場合も、大学の頃は「世界の最も普遍的な法則をみつけたい」と言うような願望があった。今の自分自身の考えはどうだろう。考えてみるに、どうも今は大きな組織を動かしたいというような願望があるかもしれない。ピーター・ドラッカーが言っているように「現代では、組織を通して物事が挙げられる」のであれば、自分の企図していることを組織の人達に伝え、その人達からの作用を通して新しい発見をしつつ、新たなたくらみとしてそれを達成していきたいというような感じが今漠然と思っていることかもしれない。
木曜日, 4月 10, 2008
思考の補助線
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