水曜日, 5月 16, 2007

小学校の先生

  • ブログを書くのはあまり構えないで、あったこと考えたことをさらりと書く。そしてちょっとの間、何故そのことを書こうと思ったのか自分に聞いてみる。しばらく耳をすませていると、思いがけないことを思い出したりする。
  • そんな感じで書き続けていけばいいのではと、最近思った。音楽を「考える」 (茂木 健一郎、 江村 哲二著)という本を読んでいて思ったことだ。
  • そうやって考えていたら、ふと小学校の先生のことを思い出した。辻先生といって、大変印象に残っている先生だ。今考えてみると、いろいろな試みをされていたように思う。社会の授業では、たびたび教科書から脱線し、ご自分の車の話(当時は車で学校に来ている先生はほとんどいなかったはずだ)をされた。各社のセールスマンを一度に呼んで、値引き競争をさせる。だいたい、原価はいくらくらいで、車ができるまでどのような経費がかかる。それで、どれぐらいまけさせたとか、自慢話も混ぜながら、生徒達は興味しんしん聞いている内に社会や経済の話を理解するといった具合であった。また、その当時は何のことかわからなかったが、ディベートの体験をさせてもらった。確か「昼休みの終了のチャイムの予鈴を鳴らすこと」についての討論で、賛成する意見ばかりでてくるので、誰と誰は反対の意見を言え、と指名された。私は賛成と思っていたのに反対しろと指名され、何で反対しなければいけないのかと内心思った。それでも一所懸命反対の理由を考えていると、何とか理屈はつくものである。また、何人もで考えるといくつかもっともらしい反対意見もでてきて、なかなか面白い議論となった。いろんな角度からいろいろな立場にたって考えろというの教えはそういわれても腑に落ちないが、こういう体験をするとよくわかる。当時でも眼が見開かれるような思いをしたことを覚えている。何度か同じ題で議論して、その後、他校の先生が一杯来て、研究授業ということであった。何度か行ったリハーサルで皆も議論に慣れてきていた。見学されていた先生は感心されていたように記憶する。他にも印象に残っていることはたくさんある。あと一つだけ書くと、分数の足し算の問題(通分が大変なので正解するのが難しい)を出して、皆に解かせた後、ご自分で黒板で計算された。私の答えと違っていて、自分の答えに自信があったものだから、必死に考えて、先生の通分に間違いをみつけ、さっと手を上げ、黒板に向かったことを思い出す。あれは本当に自信となり数学が好きになった大きなきっかけだったと思う。
  • 思い出はつきないが、先生はもう80を過ぎられたか。同級生はどうしているだろうか。

  • (夕食)ご飯、春巻、キャベツ/玉ねぎ/ジャガイモのスープ、冷奴、たくあん

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