- 「独走する日本」(日下公人)を読了。
- 靖国問題の解説で最も腑に落ちる説明をしてくれるのが著者の日下さんである。中国がなぜこんなに日本に食ってかかるのか、なかなかわからなかったが、それが儒教によるのだとは目から鱗だ。
- 儒教が時間がたって儒学となって、議論を重ねていくと極端になっていく。学はイデオロギーになり、イデオロギーはキッパリ断定するほうが勝つものである。そういう思想の下では、新政権は旧政権を否定する。朝鮮半島も中国から儒教が広がって、儒教ではもっと極端になっているから、放伐論を今でも続けている。別に日本が憎いのではない。
- ここの部分は日本人がわかっていない点であろう。国民がわからないだけでなく、政治家もわかっていないと思う。
- 日本は諸外国と違う。一神教と多神教、大陸と島国、砂漠の民と森の民、いろいろな論点があるけれど、もっとも違っているが、歴史の長さだという。アメリカはワシントンの建国から230年だから新しいというのは皆理解している。それではヨーロッパではどうか。フランスはシーザーが攻め入ったときはガリア地方でケルト人だったが、一部は逃げてイギリスにわたったが、残った人はローマに征服されてラテン語をしゃべるようになった。ケルト語は忘れてしまった。それから何百年もたってからセーヌ語を「フランス語とする」ようになったのが今のフランス語の下だという。英語も400年前ぐらいからということである。中国は古いと思っていたが「中国の歴史は底が浅い」のだそうだ。遺物が残っていない。どんどん壊してしまう。これらと比べると日本は1万年前から同じ人が住んでいる。血も言語も続いている。
- このような歴史の長さが、日本人の常識、センス、思想、精神を形づくって来た。日本は、欧米のように原理原則がしっかりしていなくて、「融通無碍だ、無原則だ」というように考えがちであるが、そうではないと日下さんは言う。「神道、道教、仏教、儒教、景教、アカデミー教」とこれらを全部足し、混合し、一番いいところだけを残したのが日本の「民間信仰」であり、「もっとも普遍的な世界思想」だと評せると思うということである。
- いわれてみると、一神教は「我が神だけが尊い」とするからほかを絶滅させてしまう。このような軍事侵略がなかったから日本はさまざまなものを自由に取り入れた。キリスト教も「日本人がもともとおもっていることに合っているところは取り入れるが、「神学」となると受け入れていない。神学校でもなかなか本当には成り立っていない。日本精神のほうが強いのであるというのである。それは私の実感でもある。
- 日下先生の予言は、そんな日本精神であるから「日本精神が世界に広がる」のだという。これは、確かにそうかもしれない。それは多くの日本人が感じていると思う。しかし、世界はなかなか日本の良さに気がつかないし、ゆっくりである、ゆっくり過ぎる。その前に日本は取るに足りない小さな国になってしまうのでないかという懸念も抱くようになったのも事実であろう。日下さんの本はそんな日本人に勇気を与えるものであると思う。
土曜日, 11月 10, 2007
独走する日本
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿