- この頃キリスト教、1神教の考え方と日本人の考え方、感じ方の違いが気になる。1神教での神は、日本人の神様とは違う。その山にも池にも、その辺の石にだっている神様と預言者を介してしかその言葉を聞くこともできない、ちょっと隔絶した神様。人間臭い感情をもった神様と偶像を作ってもいけないという超絶した神。こんな違いを、説明してくれている。
- 私は伯父と叔父が牧師をしていたこともあって、幼稚園の頃は日曜日ごとに教会に通っていたこともあった。聖書の一説を読んで、説明してくれるような時間があったことを覚えている。聖書にはいろいろ不思議な話もでてくるが、そういう話をこの本を読んでいるとおぼろげながら思い出した。そしてこの本では、かなり冷静にまた深く聖書を読んででてくる疑問に答えてくれる。
- TVで池上さんが、進化論を信じない聖書に書いてあることが真実だという人達がアメリカにはたくさんいて、「天地創造博物館」みたいなものを作っていることを紹介していた。このようなキリスト教原理主義者は科学に対立しているようだけど、ルネッサンスの頃に発達した科学、科学的態度というのはキリスト教、特にプロテスタントの信仰が根本にある。そのことに驚いた。
- この本には他にも面白い話が一杯ある。キリスト教にはイスラム教のようながっちりした法の体系がなかったから自由に法律がつくれた。こういうキリスト教社会の方が発展できたということの説明は面白い。このような論法で日本のような融通無碍な信心は何かの発展に有利だということはたくさんあるに違いない。
- 今後、多神教と一神教の今後の社会のあり方にどちらがどのように寄与するか、考えてみるのも面白いだろう。
木曜日, 9月 22, 2011
「不思議なキリスト教」講談社現代新書
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